【家じまい①】四国の家一軒とお墓、関東の家一軒をしまいました
本日FRaUの連載「日々是四十路」が更新されました。今回は「実家じまい」について。
4年をかけて四国は高知県長岡郡の家(以下、高知の家)を一軒とお墓、関東の家を一軒をしまいました。FRaUでは「関東の家じまい」について書かせていただいたので、高知の家とお墓をしめたことについて備忘録的にブログに記しておきます。
- 600キロ先の「亡き父の実家」の取り扱いがむずかしい件
高知のお家は、四国山脈の山間の町にひっそりたたずむ父の実家。父は15歳で高知市内の高校に進学し寮生活を過ごしたのちに18歳で上京。64歳で亡くなるまで実質この家で過ごした倍以上の時間を関東で過ごしたにも関わらず、ほぼ毎年高知に帰省し、定年退職後は高知で炭焼き職人としての暮らしを夢想する父。この実家が父のよすがだったのは自明だった。人にとって思いは実際の累積時間を簡単に超えていく。
この家、今の時代に語るにはややインパクトのある家で、父が上京後、祖母が亡くなる前から祖父は10年以上お妾さんを自宅の斜め前に住まわせていた。祖父はわたしが4歳の時に亡くなったのだが、その直後に判明したのが、お妾さんが祖父の遺産の大半を相続する手筈になっており、父は当然異議申し立てを行い、金銭はどうでもいいがこの家だけは、と取り返したものだった。娯楽の少ない田舎の町でこのゴシップはまあまあな噂になったそうだけれど、このお妾さんのヤベえところはその後も町に平然と居残り、チワワを飼って優雅に暮らしていたところで、わたしもその後そのチワワを散歩させてもらったことがある。昭和の時代にはよくあると言われた話であり、チワワに罪は無論ないけれど、世知に長けた女性のパンチのある振る舞いを思い起こすと胃が縮む。
築80年越えの3階建の木造一戸建てで、裏庭に50平米ほど畑あり。加えてそこそこパンチのあるエピソードを含んだ父の実家は、30年ほど前から約25年間に渡り、この畑部分を気に入って下さった地元のKさん(一人暮らし)に月3万円で賃貸に出していた。
個人的な所感ながら、「賃貸物件」って貸主が「ウィークポイント」と思うところほど、借り手にとっては「魅力」に映ることがあるらしく、転じて物件の「個性」や「愛嬌」になりやすい。
100平米越えの大きな家は立派ではある分取り回しが厳しいのでは? と思っていたけれど、「庭部分」と各階の大きな造りを「一人暮らしだから1階部分しか使わないので」とかえって気に入って下さって長い間借りて頂けた。
そして父が亡くなった10年後にあたる5年前、ついにKさんも晩年を娘さんのご家族と暮らすと言う理由から賃貸の解約を申し出られた。
さて父が亡くなり、高知とわたし達家族を繋ぐものが既にない今、東京から約600キロ先、四国山脈の山間部に建つ古民家をどうしたらいいのか。
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