東京出版雑感記⑩
本が出て4か月目。
10月9日水曜日の朝日新聞朝刊「ひと」欄に載りました。
本が出てからたくさん取材を受けさせて頂きましたが、この掲載はわたしにとって少しだけ特別でして。
ちょうど1年前の10月21日、ブログの読者だった朝日新聞社会部の記者・Sちゃんと出会った事がきっかけでした。渋谷で行った「松さや香と澁谷の夜」というニッチ&ダークピンクなドネーションイベントに、このブログを見てたった一人で遊びにきた彼女。彼女はNYに居た研修時にわたしのブログを見つけてくれたこと、同じ語学学校の子が若年性乳がんに罹患したこと、その時わたしはパリに居たので、この海を越えた先に彼女は居るのか、と思いを馳せてくれたことを熱っぽく話してくれ、このブログに綴られた諸々を「世に出るべき話! その時は絶対取材させて下さい」と言ってくれたのですが、当時は幻冬舎から本が出ることすら決まっていませんでした。
朝日新聞の「ひと」欄はただ著名である等では取材対象にはならないらしく、著名無名関わらず社会的に意味や意義がある活動をしている人を載せる欄として社内でもかなり奪い合いの人気枠だそう。
難しかろうなあ。所謂一般的に言う「有名」という枠を外せば、世の中びっくりする程“素晴らしい人”は溢れていて、それを伝えるのがジャーナリズムの役目なら、プライオリティが高い人は山ほど居る。なんのソートも掛からない状態でわたしがひょいと並びに入ればふるいをかけられたときの優先順位なんて、やはり大人ですから、自ずと見えて分かります。そこまで厚顔じゃないので。
そう思っていたわたし対して「ということで取材だけ先にしちゃおうと思います!」とSちゃんは強攻策を取り、山ほど附箋を貼った彼女失格を持参し、幻冬舎の屋上で自らの手でわたしを撮り下ろしてくれたのです。そして「あとは社内政治です。頑張ります!」と踵を返してさっさと築地に帰っていってしまった。新聞記者さんって、やっぱりすごい。
これが出版日から2週間目。
その後3か月、何度も何度も社内選考で落とされやっと週の掲載枠組に入った!と思いきや、先輩に枠取られた、〇〇氏が金メダル取ったから落ちた、など掲載の目処は全くつかない。さすがは新聞。甘くない訳です。
ああ、もう。となれば、Sちゃんと担当編集・パンクス子さんとわたしの3人は、もう後は祈るのみ。という状況に。そんな最中の10月8日の22時に「明日載ります!」との連絡が入り、全員で小躍り。なんとパンクス子さんはニューヨークに居ました。そう、Sちゃんがわたしのブログを見つけてくれたニューヨーク。
わたしはああいう文章でしかそれを綴れなくても、伝えたいと思っている事は「分かる人だけ分かればいい」というものではないので、毎日800万部も刷られる朝日新聞の全国版に掲載してもらえた社会的な「分かりやすさ」は本当にただありがたくて嬉しいです。
その日は朝からものすごい反響を頂いて、Amazonのエッセーランキングでは4位を取りました。無名の処女作エッセイがこの順位。新聞媒体の影響力のすごさに打ちのめされて、Sちゃんにありがとう!とてもすごい反響でています。と、連絡すると「よかったですね! たくさん読んでもらえるといいですね! わたしは取材で大分にいます。それではますますのご活躍を!」と、一言だけ。
そう、もう、彼女は次の時間に居るのです。自分が従事する媒体の力を恩を着せるでなく、自分の手柄だと押し付けるでも無く、本当に新聞を購読している人への“価値還元”に奔走している。ああ、もう。そしてわたしはその記事を、DEAN & DELUCAで朝ご飯を食べながら読んだのね。3人が勝手に繋がったニューヨークに思いを馳せて。
Sちゃんが書いてくれた原稿はブログ読者だった彼女ならではの愛情ある筆致でした。そしたら、まあ朝から、泣けたよね。ピンクリボン月間に間に合いました。
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